しばらくマジックをしなければ、テクニックが鈍る、という説がある。アスリートやピアニストが、3日サボると元に戻すのに苦労する、というのと同じである。しかし、涼の場合は、テクニックはさほど鈍ってはいないものの、台詞回しが鈍ってしまっている。マジシャンは手先の器用さに注意が向けられがちだが、実は話の仕方のほうが重要だったりもするものなのだ。特に、涼の場合は、それが顕著で、そこではじめて自分のマジックスタイルに気付くことができたとも思えた。さほど難しいテクニックを使っていないこともあるのだが、涼はテクニック系のマジシャンではないということだ。テクニックでのミスは少ないが、セリフはよく噛む。と、涼としてはミスをした気分になるのだが、観客は、誰もそれをミスだと思わないのが、涼としては助かっているところだ。むしろ、
「噛みました」
と言うことで、さらなる笑いを取れるのが、非常にありがたいと思うところである。
 少し気が乗らないときでも、テクニックに支障はないが――最近では凍えて指先の感覚がなくなってきても失敗しなくなってきていた――しかし、台詞回しは明らかに悪くなる。と、観客の反応も悪くなり、チップの入りも悪くなる。言ってしまえば、下手でも快活なほうがチップは入る、のだと涼は思う。
 さて、実はストリートマジックには、テクニックよりも台詞回しよりも重要なものがある。勇気だ。テクニックが上手かろうと下手だろうと、会話がスムーズだろうとたどたどしかろうと、 それは演じないことには議論する余地もない。この、演技をするにあたって、観客に話しかける勇気、というのが、ストリートマジシャンには必要であると涼は最近思う。ストリートにずいぶんと慣れてきた涼も、1日の最初の観客に話しかけるには緊張するし、まして数日離れてしまうと、また慣れてないときの心境に戻るのだ。勇気も鈍るのだと、涼も驚いているところである。例えば、ヨーロッパにいると毎日英語で演じていたのに、日本に戻ってくると、外国人に見せるのには勇気が要る。
 勇気がいつまでもあるわけではない、という表現を涼は今までに聞いたことがない。勇者はいつになっても勇者なのだと、一般的には思われていそうな気がする。しかし、涼の経験からは、勇気も鈍るものだと示される。勇気は性質ではなくスキルだったのだ。磨かなければ鈍る。表現として新しいような気がして、涼は記憶にとどめた。
「今度執筆するときに使おうっと」
 それはともかくとして、回数を演じることのできる場所を早く見つけたいものである。




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