マジックを見たいとき、というのはどのようなときでしょうか。


楽しいことがしたいとき、でしょうか?
それとも、退屈を凌ぎたいとき?
あるいは、非日常を味わいたいとき、ということもあるでしょう。


しかし、それはマジックでなければならないのでしょうか。

おそらく、一部のマジックファンを除いては、
楽しければ、退屈を凌げれば、非日常を味わえれば、
マジックであってもお笑いであっても演劇であっても構わないことでしょう。
マジックでなければならない理由は、あまりないことだろうと思います。


なるほど、そういう言い方をすれば、特段マジックに限定する必要はないような気がします。


しかし、モノは言いよう。
逆も真なり、です。

お笑いでなければならない理由も、演劇でなければならない理由もまたないのです。一部のファンを除いては。

つまり、
マジックでなければならない理由はないけど、
マジックであれば、すべてのシーンに適用できる。

そういうことになりますよね。





さて、話は変わって。

誰に見せたくてマジシャンに依頼しますか?


ご自分ですか?それとも大切な人?あるいはお客様でしょうか?


ご自分だ、という方は少ないのではないでしょうか。
多くの場合、自分のゲストに楽しんでもらいたい、という理由で依頼するのではないでしょうか。


では、大切な人に見せるのには、
あるいはお客様に見せるのには、
マジックが適切なのだろうか。

そのようなお悩みがあるかもしれません。

ゲストがマジックが好きかどうかはわからない。
お笑い芸人に依頼したほうがいいのだろうか。
伝統芸能が好みだったらどうしよう。

そう悩んだときに、
マジシャンに依頼するという選択肢は間違ってはいません。


僕がそう言うのは、
お笑いや伝統芸能よりもマジックのほうが良い、ということではなく、
僕が知っているのがマジックしかないからです。
しかし、マジックが間違っていないことを僕は知っています。



僕は、ストリートマジシャンとして、国内6都市、海外6ヶ国で演じ、20ヶ国以上の人に見ていただきましたが(2016年6月現在)、
「マジックを見たい」という顕在化された意思を持つ人は非常に少ないものです。

クロースアップマジックという性質を活かすために、
僕は常に少人数に対して演じてきました。
(2人に対して演じたほうが、大人数の中のひとりよりも感動が大きいと思うからです)
あるときはベンチで休憩する家族連れ観光客に、
あるときは噴水前でくつろぐカップルに、
あるときは石段に座ってのんびりする友人同士の観客に。
つまり、積極的にマジックを見たいという意思があるわけではない人に演じる、ということです。

もちろん、すべての人が見てくれるわけではありませんが、
「取り立てて見たいとは思っていなかったけど、せっかくだから見てみよう」
という反応の方が非常に多いと感じました。

また、ストリートで、テーブル上で行っているときにでも、
多くの人が、寄って来ては演目を見て行ってくれます。
その反応も、
「見るつもりで来たわけじゃないけど、何かやっていたから気になって寄ってみた」
というものが多く、
思いもよらぬところで遭遇したマジシャンの演目を見てみたい、
というような反応もよくある印象です。

そして、見ていただいた方たちから、
「初めて見ました!感動しました!」という声をたくさん聞きました。
英語圏ですと、「Oh, No!」「No way!」「Amazing!」「Oh my god!」「Jesus!」という声も聞くことができます。
明確に見たいという意思は持っていなかったが、潜在的に見てもいいという気持ちがあった、ということなのだと思います。
20数ヶ国の人たちが、同じように驚き、同じように喜ぶ姿を見ると、
マジックは、言葉も国境も文化も超えるものだと実感しました。
(僕は外国語は堪能ではありませんので)




マジックが適用できる範囲は非常に広い、と僕は言うことができます。
(ちょっと誇張して、万能だ、と言いたいぐらいです。笑)
取り立てて毛嫌いしている方以外には、(マジシャンの腕にもよるでしょうが)受け入れられやすいエンターテイメントだというのが、僕の考えあり、手応えです。
(僕の腕がいい、ということではなく、マジックというものに対して僕がそう思っている、ということです)

 
「何かいいエンターテイメントはないかなぁ」
そうお思いの方は、マジシャンに依頼をする、というのもひとつの手だと言えます。
そして、そのとき依頼されるのが僕であれば、
これほど嬉しいことはありません。