無事支配人と話ができる運びとなった涼だったが、それで何かの契約が決まったわけではない。とりあえず、顔を合わせての自己紹介という段階である。
 涼は、支配人以外にも同じような手紙をレストランに書いていたので、
「ホテルのレストランのほうにも、お手紙でご連絡させていただきました」
と言ったが、しかし、支配人の話によると、各レストランの責任者は食事のメニューを決めることはできるが、支出のある契約を決めることはできないのだと答えた。
「なるほど、そうでしたか」
 薄々思ってはいたが、なるほど、手紙を書くべきはやはり支配人宛てだったのか、と涼はこのとき確信した。おそらく、どこのホテルも同じだろうと支配人が言うのが、涼には勉強になったところだった。それを聞くと、誰にアプローチすればいいのかがはっきりする。電話で受け付けの係員と話をするのには、あまり意味がないことになる。
 事情がわからないと尻込みするよりは、訪ねて行ったほうが間違いなく良い。それではじめてわかることも多かった。レストランマジックというのは、うちのホテルではちょっと、と支配人は言ったが、
「でも、イベントなんかでお願いすることもあるかもしれないので、企画書を送ってもらえませんか?」
という前向きな話も出た。
「どんなマジックなのか、いくらぐらいなのかわからないので何とも答えられないのですが、そのあたりが分かるような企画書を送ってもらえば」
ということである。
「料金は、おいくらでも決めていただいて結構ですよ」
と涼は言ったが、実際のところ、涼が決めないことには判断がしにくいようなのだ。というのも、大きなホテルになると、支配人といえども一存で決めることができないらしく、決め事はすべて会議によって決定するという話だった。であるから、企画書がないと、会議にかける議題として持ち上げることができない、ということなのだろう。そこそこでの事情があるようだった。
 建設的な方法がわかったところで、涼は支配人に一礼をしてホテルを後にした。いちパフォーマーの涼に対してでも、真摯な態度で受け答えをしてくれる丁寧な支配人だった。

 いくつかの営業を繰り返して、レストランやホテルにとって、パフォーマーとの繋がりを持っておくことは悪いことではないと、だんだんとわかってきた。考えてもみれば当然で、何かのイベントを行う際に、呼ぶべきパフォーマーの選択肢が1人増えるのだからキープしておいて損はない。常時レストランで仕事をするとなると渋い顔をされるものだが、イベントのときに呼ぶかもしれない候補のひとりとするならば、何も渋い顔をする必要がないということだ。イベントがなければ呼ばなければよいのだから。
 レストランやホテルの上層部の人と話をすると、無下に断られることはなかった。涼ははじめ、これをいいことだと思っていたが、必ずしも仕事が来るとは限らないことがわかってきた。とはいえ、まずはここから始めないといけないところなのだろう。
 受付では無下に断られてしまうのだが、直接支配人に飛び込めば、少しは話を聞いてもらえる。支配人に届くまでが最初の試練ということだ。

 涼は、会社員だった頃を思い出す。
 よくわからない営業の電話は、平社員だった涼にもよくかかってきたし、居室の共用の電話にもかかってきた。しかし、誰に何の用があるのかをはっきりさせないので、誰にも取り次げなかったことが多かった。電話をかけてきた本人も、誰に話せばいいのかがわからなかったのだろう。涼は、
「必要だと判断した場合に折り返しお電話差し上げますので、ご連絡先を教えていただけますか」
と言うようにしていた。しかし、必要だと判断する時は来ない。なぜなら、誰に何用かわからないからだ。そう言ってきちんと要件と連絡先を言わなければ、誰に伝える必要もないことなのである。そして、薄々わかっていたとおり、電話の相手は、
「いえ、結構です」
と言って電話を切ってしまったりもした。仕事ができない営業だ。と涼も思ったりしたものだった。
 そんなことを思い出しながら、涼はいま営業をしている。誰に何用かをはっきりさせなければ、誰にも取り次いでもらえないことになる。しかし、判断主に要件を伝えたいと明確に思っていても、判断主が誰なのかがわかっていないのだから、涼も、仕事のできない営業と大差はない。
 しかし、今回はっきりしたことがある。手紙なら届くということだ。電話では届かないが、手紙なら届く。もちろん、そのためにいろいろな施策を盛り込んでいる。筆書きの封筒に手書きの便箋。一風変わった名刺。そして、今後は蝋で封をしようかとも考えている。

 今までは観客に対して試行錯誤をしてきたものだが、これからは経営者に対して試行錯誤をしていくことになるのかもしれない。




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