『蜂蜜と遠雷』という小説が、本屋大賞に輝いたことを涼は昨日知った。この本は、直木賞を受賞しており、2冠ということになったわけだが、涼はまだ読んではいない。
 聞くところによると、この作品は、クラシック演奏を舞台にした小説で、音楽を文字で表現しているということだった。その表現が秀逸で、読者は文字を読んでいるのに音楽が聞こえてくるらしいのだ。
「文章を読むと情景が見えるんです」
という表現の、音楽版ということである。
 涼も遠からず、読みたいと思っているところだ。
 本来ならば、何かの受賞作品ともなれば、物書きである涼は手当たり次第にでも読んで勉強せねばならぬ立場ではあるのだが、なかなか勉強ばかりしてもいられず、熱心にはなれずにいるのが現実だった。

 ところで、こういう表現を思いつくにあたって、著者の頭の中はどのようになっているのだろうか、というのが涼の興味である。小説には小説の、漫画には漫画の、テレビドラマにはテレビドラマの表現方法があり、小説で面白いからと言ってドラマ化しても成功するとは限らない。小説に特有の表現として、たとえば『叙述トリック』などもあるが、著者の脳内の構想の段階では、どのようになっているのだろうか。
 ちなみに、涼の脳内では、登場人物たちによるドラマが視覚的に展開され、涼はそれを文字で表現しているのであり、文字が頭に浮かび上がってきているわけではないのだから、ことさら小説でしかできないような表現にはなっていない。ドラマ化に対応している、といえば聞こえはいいが、小説の特性をあまり利用していないという点では、そう褒められることではないだろう。
 であるので、書きながら、
「これは小説向きのトリックじゃなかったかなぁ」
などと思ってしまうのである。伝達手段として小説になっているのだが、発想した時点ではドラマなのだから、思いつくのもドラマ的なトリックになってしまったりするのだ。

 しかし、いずれ、もっと多くの作品を手掛け、もっと表現を磨き、小説としての魅力ある作品を作りたいと、涼は思っている。
 差し当たり涼がやるべきは、今書いている小説を完成させることでしかない。



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