6日連続企画。最終日。
第1作品である『十字架は誰の手に』の冒頭部分を公開します。

(作品の最後までを連載するわけではありません)


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「見たところ、ずいぶんお若いですね。学生さんですか?」

 事件のことを聞く前に、世間話で心を開かせようという考えのもと、佐竹は香織に問いかけた。

「え?ええ、そうです。帝東医科大学に通っています。医学部の5年生です」

「帝東医大ですか。日本1、2を争う医科大学ですね。これは名門医大のお嬢様でしたか」

 佐竹は大袈裟に驚いて見せたが、香織のほうは心を開くどころか、むしろ暗い表情で俯いてしまう。

「いえ。父が医師ですので、私も医師を目指していたんです。いずれ父の手助けをしたいと思っていました。……でも、もう父を助けることはできなくなりました……」

 香織は小さく言って、右手を毛布の中に引っ込めた。

「そうでしたか」

 佐竹は、話を途切れさせまいと別の話題を探す。
 香織の姿をひととおり眺めると、マグカップを握る香織の手の指先が気になった。

「医大だと、やはり患者を看たりもするのですか?メスを使った手術とか」

「いえ、そこまでは。メスを使う実習なんかはありますけど。でもなぜです?」

 佐竹は
「なるほど」
と納得したように頷いて、
「いえ、お怪我をされているようなので気になったものですから」
と香織の左手の人差し指を指した。
 指先には絆創膏が巻かれている。

「実習の時に切ってしまったのかと思いまして」

「え、ああ。はい。お恥ずかしいのですが」

 香織はバツが悪そうに言って、指先を隠すように右手で握った。
 そして、
「刑事さんって目ざといんですね」
と悪戯が見つかった子供のように首をすくめた。
 香織に少し笑みが戻ったところで、佐竹は本題を切り出した。
 死体を発見したときの状況の質問である。

「時間は……8時35分でした」

 香織が言う時間がずいぶん細かかったので、佐竹は少し驚いた。

「夜ですね」
と確認すると、香織は
「ええ」
と小さく頷いた。

「20時35分に発見したわけですね。それであなたはどうしたんですか?」

「あ、はい。すぐに携帯で……あ、スマホで警察に連絡しました」

「現場のものに触れましたか?」

 佐竹が訊くと、香織は少し考えて、
「父に……触れました。もしかしたら、まだ生きてるかもしれない、と思って」
と小声で言いながら、また右手を毛布の中に戻した。
 首から下がったペンダントを握っているようだった。
 それをぼうっと見ながら、佐竹は質問を続けた。

「それで、そのときはすでに亡くなっていたわけですか?」

 香織は
「はい」
と頷いた。

「遺体ははじめからあの位置にありましたか?引きずった跡がありましたが、それはご存知ですか?」

 香織は
「えっと」
と時間をおいて、
「はい。私が見つけたときには、あの位置にありました。引きずった跡と言われると確かにそうだと思いますが、それもはじめからありました」
と答えた。

「発見したのは、どういうタイミングだったのでしょう?大学から帰宅したときに、ということですか?」

「ええ、そうです。電気がついていたので、父がいると思って、ただいま、って言ったんです。でも返事がなかったから、父の書斎に行ってみました。それで、血だまりの中に父が倒れているのを見つけて。駆け寄ってみましたが、でも、そのときには、もう息がありませんでした」

「なるほど」

 頷きながらも、佐竹は表情を険しくする。

「それで警察に電話をした、というわけですね」

 香織が
「はい」
と頷く。

「帰宅するのは、いつもそれくらいの時間でしょうか?」

「いえ、今日は早いほうでした。いつもは実験で、夜9時ぐらいまでは大学の研究室にいるんです」

「なるほど。大学の場所はどちらですか?」

 その質問に、香織は
「御茶ノ水です」と答えた。
 八王子のこの自宅から御茶ノ水は、電車でも車でも約1時間ほどの距離である。
 佐竹は小さく頷きながら、
「自宅に戻ったのが20時35分だとすると、御茶ノ水を出たのは19時半というところでしょうか。いつもは21時まで研究室にいるところを今日は早めに帰宅したというのは、何か理由があるのでしょうか?」
と質問した。
 ここまで踏み込まれると、香織のほうも自分が容疑者だと思われていることを悟ったであったろうが、それを気にする風でもなく、淡々と質問に答えている。

「あ、はい。今日は友達とカラオケに行っていて。研究室を出たのは夕方5時ぐらいなんです。それから、大学の近くのカラオケ屋に行って。だいたい2時間ぐらい歌ってから帰ってきたんです」

「なるほど、そうでしたか。それで自宅に20時35分ぐらいに到着し、お父さんの駿之介さんが倒れているのを発見した、ということですね」

 香織は
「はい」
と頷いた。

「お父さんの帰宅時間はいつもどのくらいなのでしょう?」

「はっきりとは決まっていませんが、夜の11時とか12時とか、もっと遅い日もあります」

「いつもあなたのほうが先に帰宅するんですね?」

「はい。父のほうが早いのは珍しい事です」

「なるほど。すると、あなたもお父さんも、今日に限って、いつもより早く帰宅したわけですね?」

 その質問に、香織はきょとんとした表情で、
「え?あ、はい。そうですね」
と答えた。
 たった今そのことに気付いたような反応だ。

「では犯人に心当たりはありませんか?」

「え?」

 佐竹としては当たり前の質問をしたつもりだったが、香織の表情が唐突に固まった。
 明らかな動揺が見て取れる。

「どうしました?」

 佐竹が訝しむように覗き込むと、
「いえ、心当たりはありません!」
と、香織は慌てて否定した。
 しかし、香織のその狼狽え様は、何かを隠していることを明確に物語っていた。

 佐竹は、そこで質問を終えた。
 香織の不審な挙動をここで指摘するつもりもなかった。
                  
               
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