今でもよくあることだが、演目後に、
「何か簡単なマジックを教えてください」
と涼は言われる。これに対して、簡単なマジックができるギミックを販売する、という対策を取っているのだが、昨日はそのギミックをたまたま忘れて出かけたため、苦労することになった。
ギミックのないトランプのデックでのマジックをレクチャーしたのだが、どうにも気に入らない様子なのだ。
「こんなマジックはいかがですか?」
と涼が演じたときには、
「すごい!知りたい!」
と興味を示していたのだが、しかしタネを知るや否や、
「そのタネじゃ、すぐにバレませんか?」
と不満を漏らすのだ。バレないように練習しなければならない、という話ではあるのだが、
「まずバレることはありませんよ」
と涼が説明し、実際に自分も気付いていなかったにもかかわらず、その観客はバレる可能性を延々と述べ出したのである。加えて、先ほどいたく驚いていたのに、
「でも、この現象だけじゃ、『え?それだけ?』ってなりません?」
と、タネを知った後に言い出すのだ。
「もっとかっこいいやつを教えてください。あと練習いらないやつ」
こう言われると、涼としては、不快でもあるし呆れもする。
これはプロ野球選手に、
「ヒットじゃなくて、ホームラン打てる方法教えてください。練習いらない方法で」
と言うようなものであるし、バスケットボールの選手には、
「レイアップじゃなくて3ポイントシュートがすぐ打てる方法教えてください。それかダンクシュート」
と言うようなものである。
「練習いらずにホームランが打てるものなら、プロ野球は誰も見ない」
と涼ならずとも言いたいところだろう。練習の積み重ねがあって、観客の期待に応えることができるのだ。誰でもできることをやっても、誰も喜ばないことだろう。
と、こういったやりとりのために、涼は商品を持ち歩くようにしているのである。本気でない観客には、
「買いますか?」
「いいえ」
で、話を終えたいのだ。
やらない理由をいつまでも聞いておかねばならないのはツラいものだ。商品を持つのは、売って利益を得るためではなく、無為な時間を短くし、次の有益な仕事の時間にするためである。
コメント
コメント一覧 (4)
「こんな時空がねじれるような現象は自分には出来る筈がない」
とは思わないのでしょうか。
まあマジック教えてよと軽口を言うくらいでないと世の中生きていけないので言ったもん勝ちなのですが、重度の人見知りである私は人の後ろで指をくわえて黙ってます。
マジシャンだって、体張って演技しとるのに。
マジックがやりたい、と思うこと自体は歓迎すべきことなのですが、
「練習なしで」
と言われると辛いですね。
その上、いくらレクチャーしても、
「それじゃないやつ」
と選り好みをされてしまうと、教えることもできなくなるんです。
「これができないことには、その先のことは絶対にできませんよ」
と言わなければならなくなります。
ちょうど、
「足し算は難しいからいいや。それはいいから掛け算教えてよ」
と言われる気分です。
「練習したんですよね」
と、サラッと答えていました。
当のマジシャンは返答に困った様子で、苦笑いしていました。
マジシャンにとって、練習した、と言うことは、タネがあるかどうかも含めて出来れば知られたくない事柄でしょう。
観客専門の私としては「良く言った❗」とは思いましたが、こういった件はデリケートなお話ですね。
しかし、今回の涼さんの様に「練習が要らないのを教えれ」などと宣う輩がいることを考えると、「練習した」という事実は一般の人にもう少し知られても良いのではないかな、と思いました。
叶姉妹に言われると、そのマジシャンも苦笑いするしかなかったですね(笑)
練習したということは、それほど秘密のことではないのですが、野球に置き換えると、その会話の意味が分かりやすいと思います。
「今シーズン、ホームラン50本を打ったバッターに来ていただきました。すごいですよね」
と言われて、
「練習したからですよね」
と言うようなものです。
それはそのとおりなのですが、この受け答えが「なるほど!」と思えるか「ナンセンスだ」と思えるか、それと同じですね。
きっとそのバッターも、苦笑いすると思います。
マジシャンは、野球選手ほど練習の美学を重要視しないかもしれないですが、練習せずに成功したマジシャンは、身内の忘年会レベルであっても、いないと思います。