最近、涼は、渋谷肉横丁や恵比寿横丁といった、集合飲食街でパフォーマンスを行っているが、これがなかなか油断できないところがある。
1枚カードを引いてもらうだけでも、注意して見ておかないと、うっかり濡れたテーブルに置いてカードが濡らされてしまうのだ。何のカードを引いてもらってもよいようなときでも、
「じゃあ後ろを向いておきますので」
などと目を離すと、その間に、トランプがどうなっているかわからないのである。
まして、
「じゃあ、このカードにお名前を書いていただきたいのですが」
とカードとペンを渡そうものなら、すぐに濡れたテーブルの上で名前を書こうとして、カードを濡らしてしまうのである。
その確率が、なんと2回に1回ほどもあり、涼も驚かされたものである。
それを防ごうと、
「カードは紙でできていますので、濡れないように気を付けてくださいね」
とあらかじめ注意を促したりもするのだが、それでも、4回に1回ほどはジョッキの跡にカードを置いたりするので、涼も濡れたカードでマジックを続けなければならなくなる回数が増えたものである。40回ほど演じると、10回は濡らされるのだから、もはや濡れた状態でできるように涼のほうがスキルを増やさねばならなくなる状態である。
はじめは、
「濡れてしまいましたので、別のカードを使いましょうね」
と、もう1枚カードを使っていた涼も、あまりの頻度に、それを諦めてしまった。
「なんで濡らすんだ!なにやってんだよ!」
と観客同士のトラブルもたまに勃発するので、それを防ぐ意味でもある。
知る人は知るのだが、バイスクルのカードが濡れると、縁が黒く変色して、裏から見てもわかるようになる。つまり、観客がカードを濡らすということは、裏からでも見える目印を付けることになるわけで、カード当ての難易度が著しく下がる。というか、もはやマジックにもならないのだが、目印を付けた当の観客がそのことに気付いていないのだから、涼も、素知らぬ顔で、
「このカードですね」
と何のテクニックもタネも必要ないカード当てを演じたりもする。それがウケてしまうのが、現場というところなのだ。
一方で、裏に目印があるとやりにくくなるマジックもある。例えば、涼が得意とするアンビシャスカードがそれで、観客に、裏側から何のカードであるかを知られることは、非常に都合が悪い。ところが、それをやらねばならないのもまた現場というものである。
観客自身がつけた目印を、観客に最後まで気付かせずにいられるかどうか、注目すればすぐに気付いてしまうであろう目印に気付かせぬよう、会話術とミスディレクションを駆使しなければならないのは、精密クロースアップマジックとはまた別の要素があるものである。
「名前書きました!」
と濡れたカードを返されたときには、内心頭を抱えながら、2段階ほど難易度の高いマジックに挑戦しなければならなくなる涼なのだった。
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1枚カードを引いてもらうだけでも、注意して見ておかないと、うっかり濡れたテーブルに置いてカードが濡らされてしまうのだ。何のカードを引いてもらってもよいようなときでも、
「じゃあ後ろを向いておきますので」
などと目を離すと、その間に、トランプがどうなっているかわからないのである。
まして、
「じゃあ、このカードにお名前を書いていただきたいのですが」
とカードとペンを渡そうものなら、すぐに濡れたテーブルの上で名前を書こうとして、カードを濡らしてしまうのである。
その確率が、なんと2回に1回ほどもあり、涼も驚かされたものである。
それを防ごうと、
「カードは紙でできていますので、濡れないように気を付けてくださいね」
とあらかじめ注意を促したりもするのだが、それでも、4回に1回ほどはジョッキの跡にカードを置いたりするので、涼も濡れたカードでマジックを続けなければならなくなる回数が増えたものである。40回ほど演じると、10回は濡らされるのだから、もはや濡れた状態でできるように涼のほうがスキルを増やさねばならなくなる状態である。
はじめは、
「濡れてしまいましたので、別のカードを使いましょうね」
と、もう1枚カードを使っていた涼も、あまりの頻度に、それを諦めてしまった。
「なんで濡らすんだ!なにやってんだよ!」
と観客同士のトラブルもたまに勃発するので、それを防ぐ意味でもある。
知る人は知るのだが、バイスクルのカードが濡れると、縁が黒く変色して、裏から見てもわかるようになる。つまり、観客がカードを濡らすということは、裏からでも見える目印を付けることになるわけで、カード当ての難易度が著しく下がる。というか、もはやマジックにもならないのだが、目印を付けた当の観客がそのことに気付いていないのだから、涼も、素知らぬ顔で、
「このカードですね」
と何のテクニックもタネも必要ないカード当てを演じたりもする。それがウケてしまうのが、現場というところなのだ。
一方で、裏に目印があるとやりにくくなるマジックもある。例えば、涼が得意とするアンビシャスカードがそれで、観客に、裏側から何のカードであるかを知られることは、非常に都合が悪い。ところが、それをやらねばならないのもまた現場というものである。
観客自身がつけた目印を、観客に最後まで気付かせずにいられるかどうか、注目すればすぐに気付いてしまうであろう目印に気付かせぬよう、会話術とミスディレクションを駆使しなければならないのは、精密クロースアップマジックとはまた別の要素があるものである。
「名前書きました!」
と濡れたカードを返されたときには、内心頭を抱えながら、2段階ほど難易度の高いマジックに挑戦しなければならなくなる涼なのだった。
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