少し前のことだが、涼の元にひとつの問い合わせのメールが届いた。その内容は、
「昨日横浜駅で路上マジックをやっているのを見た者なのですが、そのときのマジシャンの方でしょうか?」
というものだった。
   それは涼のことではなかったのだが、
「お名前を聞いてなくて、でもどうしてももう一度見たくて、何か心当たりはないでしょうか?」
と熱心に聞かれたので、涼も心が熱くなる思いがした。そもそも依頼人が涼にたどり着いたのも、ストリートマジシャンを検索してのことであるだろう。ファンのほうから、ここまで熱心に演者を探しているこの状況が、涼はとても嬉しく感じたものである。初見でそこまで観客の心を掴んだパフォーマーの演技もリスペクトするし、名前も知らないパフォーマーの演技をもう一度見たいと懸命に調査するファンの心意気にも感服した。
   同じストリートマジシャンとして、そういう状況があれば涼はとても嬉しく誇らしい気分になることだろう。そう思ったので、涼は、この依頼人の希望を叶えたくなった。
   その翌日、ちょうどパフォーマーとの交流会があった涼は、いろんなパフォーマーにそのことを聞いてみた。すると、答えは意外にも簡単に見つかった。
「それはきっと、うちの相方ですよ」
   お笑いコンビマジシャンのひとりがそう言ったのだ。
   これは朗報を得た、と涼は依頼人に伝え、依頼人も喜んで連絡をしたようだった。

   これで上手くいけばよかったのだが、しかし、涼が思う結末とは異なる、ある意味残酷な未来が待っていた。翌日になって、
「あのぅ。連絡したのですが、全然お返事が来ないんです」
というメールが涼の元に届いたのである。
   ファンがわざわざここまで探して連絡しているのに、それを放置するのはどういうことか、と涼はやや苛立ちを覚えたものである。たとえば出張依頼のメールが来たとして、24時間以上も返信をしないとなると、それはもう仕事人ではないのではないか。そのようにも思った。
「わかりました。僕の方からも連絡を入れてみますので、もう少し待ってみてください」
   そう答えてから涼は、もらった名刺の連絡先にメールを入れた。いくつかの連絡先はすでに使えなくなっており、そこにもストレスを感じさせられた。これが涼ではなく、営業を依頼しようとする顧客であれば、途中で諦めて別のパフォーマーに依頼することだろう。通じる連絡先を書いていなければ、名刺の意味がない。
   ともかく、メール1通を送るのにも、相当な時間が必要だった。お客さんの側から見たいと言っているのだから、次にストリートマジックをする場所を教えてあげてはどうか、公演があるならチケットを売ってあげればどうか、そのようなことも書いた。
   そのコンビは2人ともレスポンスがとても悪く、1日後に1通返事が来たものの、さらにすぐに涼が返信しても、4日間待っても2通目は来てはいない。
   依頼人のほうには連絡は行っているのだろうか、と心配になり、
「いかがでした?お返事は来ましたか?」
と涼が尋ねたのは昨日のことである。
「来たのですが、あまりに冷たい返事で、あの時の熱が……」
という文面を見るだけで、意気消沈する依頼人の顔が目に浮かんだ。なぜ私はあそこまで熱心にこの人のことを探したのだろう、と言いたげでもあった。
   マジシャンは観客を幸せにする職業であるのに、ガッカリさせてどうする、と涼は呆れてもいるが、もしかしたら要らぬことをして不幸な結末の手伝いをしてしまったのかと反省もする。
   しかし、あの時の涼は、依頼人同様、熱い気持ちでいたのだ。それに、どちらかというと、依頼人よりもマジシャンに協力するつもりであった。
「お客さんを連れてきましたよー」
という気分でいたのだから。


   ひとつの小さな、日常のささやかな事件であった。