涼がスマホを回収するにあたって、それなりの苦労をした中で、思い知らされたことがある。人は善ばかりではなく、悪ばかりでもない。真面目に仕事をすることもあれば、ミスもある。真と偽の情報を正しく読み解けた者だけが、正解まで辿り着けるということになるのだろう。
   結果的にスマホ回収に辿り着けた涼は、今になって、かつての情報の真偽を知ることになる。
   情報の真偽を振り返ることにする。


24日5時  
   スマホを置き去りにしたまま、涼がタクシーを降りた時間だ。ちなみに、この時は手品家からの帰り道で、涼は福岡市から朝倉市まで、約30kmの距離をタクシーで帰宅した。

24日6時ぐらい   
   タクシーの運転手がスマホに気付き、朝倉市から20kmほど、福岡市から10kmほどの春日市の交番にスマホを届ける。

24日午前中
   SIMカードの情報から持ち主を特定。警察がソフトバンク社に連絡。
   この時点でなぜ解決できなかったのかが謎である。

24日20時
   すでに警察が保管していることを知らない涼が、タクシー会社に連絡して忘れ物を確認するが、「届いていない」と返事をされる。その後数回に渡り、運転手に聞いてほしい、春日市にあることまでは検索機能でわかっている、と頼んだが、結果、何もわからなかった。
   運転手は、警察には届けたが、会社の質問には「知らない」と答えたと推測される。または、会社が運転手に確認せずに「聞いたけどありませんでした」と答えた可能性も。

24日21時
   一度タクシー会社から「スマホを福岡市の交番に届けました」という、涼のものとは別の落し物の連絡を受け、福岡市警察署に涼は確認をした。
   それが涼のものではないことまではわかったが、「それ以外には該当する落し物は届いていませんね」とデータベース検索の末、警察官は言った。しかし、それよりも早い段階で春日市の警察官によってデータベースには入力されていたことが発覚し、福岡市警察署の検索ミスが後に明らかとなった。

24日22時
   タクシーの中ではなく、タクシーから降りた瞬間に落としていた可能性も考えた涼は、朝倉市警察署にも連絡。結果、福岡市警察署と同じように検索ミスがあったようで、発見されず。
   ここで正式に遺失物届として提出したが、朝倉市で作ったこの書類は、春日市警察署は見なかったものと思われる。

25日13時
   ソフトバンクショップに行き、状況を説明して相談。この時点で、ソフトバンク社には警察からの連絡が入っていたが、ショップ店員には伝わらず。免許証を見せて本人確認をし、データベース検索しているにもかかわらず、「無くしたiPhoneを探す方法はない。中古のiPhoneを買って、再発行したSIMカードを使うのがよい」と勧められ、涼はそのとおりにした。

25日17時
   再発行したSIMカードによって紛失iPhoneの位置情報が発覚し、春日市にあることが発覚。この時点では春日市警察署にiPhoneはあったのだが、アップル社あるいはソフトバンク社の位置情報の誤差があり、ある不動産屋を指していたので、涼はその不動産屋に電話して確認。調査の末、ここにはないと折り返しの連絡があった。
   と同時に、朝倉市警察署を赴き、遺失物の場所が発覚したことを告げ、春日署に届いている可能性も伝えたが、「届いていたらわかるようになっている。SIMカードで特定されるから連絡される。そうならないのは届いていないから」と返事をされた。が、今となっては、この時に春日署にあったことはわかっている。

26日12時
   この日、春日市に探しに行く予定であったが、昨日はヒットした位置検索に、今日はヒットしなくなっていたので「ついにデータを消されてSIMカードを抜かれたか」と涼は絶望したが、その解釈が正しいかどうかを確認するためソフトバンク社カスタマーセンターに電話を入れ、ここではじめて「その解釈はさておき、そのiPhoneは春日市警察署が預かっていると連絡が入っていますよ」という情報を涼は得た。
   すぐに春日署に電話し、「ありますよ。身分証明書を持ってお越しください」と言われることとなる。

26日15時
   春日署にて、スマホ回収。


   と、このような流れであった。
   涼が落とさなければそれで済んだ話であるし、運転手がタクシー会社に真実を告げていてもよかった。春日市の交番に届けるときに「朝倉市の乗客の落し物」だと言ってくれればよかったし、警察の情報共有や検索能力の問題や、ソフトバンク社の問題もある。
   様々な不手際が相まった末、このようなことになったのだと、今になって涼は知ったわけであるが、重要なのは、この問題を真剣に解決させようと考えていたのは涼だけだということだ。
   それも当然のことである。涼以外の関係者は、解決しようとしまいと、困らないからだ。協力はしてくれることもあるだろうが、情報を精査してはくれず、それが当然の世の中でもある。

   何かを解決させたいと思えば、それは自分の手で解決させなければならない。
   このような教訓を得たのははじめてのことではないが、常々勉強させられるものである。
   また、このような経験が執筆にも役立つので、取材をしたと思えば、そう悪い話でもない。